居合道とは
居合道は、日本刀の操法に由来するものであり室町時代にその起源があるといわれます。勝負を抜刀の一瞬にかける居合道の修業は、死生一如、動静一貫をめざす心身鍛錬の道となっており、剣道と表裏一体の関係にあります。居合道には流派が多いため、従来は各人が演武を披露するだけでしたが、昭和41年の第1回全日本居合道大会では勝敗を判定し、優勝者を決めました。これを契機に昭和44年「全日本剣道連盟居合」7本が制定され、同55年に3本の追加、平成12年に更に2本の追加がなされ、現在12本になっています。居合道の試合は、2名の出場者が真剣または模擬刀を用い、あらかじめ定められた全日本剣道連盟居合と各流派の形、合わせて5本を6分以内に演武し、その「修業の深さ」、「礼儀」、「技の正確さ」、「心構え」などを審判員が判定して勝敗を決します。
杖道とは
杖道は長さ128cm、直径2.4cmの杖を用い攻撃よりも変化に応じて相手を制圧するのが本旨です。17世紀初頭に夢想権之助によって創始された神道夢想流杖が起源です。杖道は、昭和31年に本連盟に加入し、同43年には太刀を「打」、杖を「仕」とする基本12本、その応用技12本が制定され「全日本剣道連盟杖道」として発足、同49年に第1回全日本杖道大会が開催されました。杖道の試合は、2組の出場者が、規定の術技を仕打交代して演武し、その「充実した気勢」、「正しい姿勢」、「正確な打突と打ち込みの強弱」、「間合と間」、「礼法」などを審判員が判定して勝敗を決します。
現代社会における居合道
何故我々は居合を学ぶのか。先祖の血か、侍の血か。現代生活においては、帯刀することも無く、誰かに切りつけられることもない(最近の社会情勢ではそれを否定し得ないが)。そのような生活の中にあって、居合道は日本刀の操術を学び、対敵への体の運用を学ぶ。何故?
ある者は刀を好み、ある者はその静寂を愛し、またある者は伝統を重んじる。歴史を学ぶもの個々の位置付けはあるが正解はない。その解答の一つを紹介したい。
上田安次郎氏:我が会の重鎮であった。齢70にして居合を学び始め、居合道四段。終身心胆を錬る。
氏曰く「居合をやってても、刀振り回しとるばっかりやとあかんのとちゃうか。それを如何に仕事に活かすかも考えんと。 ”残心”ってあるでしょ。取引先にも最後にもう一遍最後の最後に電話でも確認しておく。これが”残心”っとちゃうやろか。”袈裟の一刀”ってあるやろ。”斬るな、斬らすな・・・袈裟打ち懸けて成仏せしめよ”、初めから喧嘩腰で話してたら、話しにならんわな。相手の出方も考えて話しせんと。最初から”切ったるで”という態度はいかんわな。それはやくざの喧嘩や。
」居合は人生経験の重みも表現できる。う~ん、奥が深いなぁ!