夢想神傳重信流とは

林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流は、天文23年(西暦1554年)、今から450有余年前、林崎甚助重信公が亡き父親の仇討ちのため奥州出羽の国、林崎の宮に参篭祈願の或る夜、林崎大明神より 霊夢を蒙り刀術の秘法真理妙締「袈裟の一太刀」を授けられたのが源泉であります。流名は林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流が正式名でありますが、現在では夢想神傳重信流と称しています。

当流は我が国居合の源流であり、幾多の歴史を繰り返しながら綿々として後世に引き継がれ諸流派を生み、また、数多くの名人・達人を輩出しましたが、文政年間(西暦1820年前後)に至り、故あって突如として秘され世に隠されて密かに伝承されました。その故とは、本流は流祖以来の抜刀術とて、心技共に毫末も誤りなく後世に伝える為に相伝以外の者は不見、不聞、不知でありました。大正5年末、中山博道先師は予て知遇であった板垣退助伯爵の斡旋を受けて、土佐重信流第十七世細川義昌先師の門に入り、起請文を起こし、当流の修業を極秘裡に始められました。研鑽を重ねた上その蘊奥を極められ、遂に、大正11年細川義昌先師より総て相伝を了え、夢想神伝重信流第十八世を継承されました。中山先師は、直接の指南は極めて稀であり、特に夢想神傳重信流については第一門人橋本統陽先師に昼夜を問わず指南相伝されましたが、中山先生が江田島海軍兵学校武道師範在任中に来校の都度、有信館山口県支部心信館道場において木村栄寿先生に極秘裡に指南されたとのことです。

昭和33年、中山博道先師が永眠されたのち、昭和44年、山口県における第4回全日本居合道大会の前夜、橋本正武先生、額田長先生は中山先師の直門木村栄寿先生から初めて夢想神傳重信流についてのお話を聞き、本流の大精神に感銘し、修錬に晩年を捧げられました。これまでは相伝以外は他見他言を厳密に付されていましたが、中山博道先師のご遺言により、木村栄寿先生が、昭和49年6月、山口県防府にて初めて「夢想神傳重信流抜刀術兵法特別研修会」を開催され、橋本正武先生、額田長先生をはじめ高段者十数名の先生方が師弟の礼を取られ本流の研修講義を受講されました。更に中山博道先師の遺命により、木村栄寿先生の献身的なご努力によって当流の伝書集及び業手付解説の計画草案草稿が進められていましたが、昭和53年2月に脱稿を見ずして他界され、その後、橋本正武・額田長両先生が監修にあたられ、昭和57年12月に「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」発刊に至りました。本伝書の公開にあたり、第17世細川義昌先師生家に門外不出のまま秘蔵されていた貴重な当流の伝書を、橋本正武先生が細川家に嘆願され、細川家の親族会議の議を経て公開を許されました。そして昭和58年7月に橋本正武先師が、続いて59年5月には額田長先師が相次いで他界され昭和62年3月に額田長先師の盟友であった西田英和先生のご尽力のもとに、夢想神傳重信流研究会が発足、昭和63年6月には大阪市で開催された全日本剣道連盟主催の全国居合道講習会の第2日目、古流研究の時間帯において、はじめて公の場所で「夢想神傳重信流」の場を与えて頂きました。

本流の真理、抜刀術大精神である「袈裟の一太刀」仮令大罪人に直面するとも、刀を抜くな、抜かすな、斬るな、斬らすな、殺すな、殺されるな、話して懇切に説法し善人に導くべし、万一従はずして是非ともなれば詮方なく、袈裟打ちかけて成佛せしめよ」に則り、流意に添い、先師が遺された心法・技法を幾久しく後世に残していきたいものです。

業名

初傳(大森流)

一、初発刀
二、左刀
三、右刀
四、當刀
五、陰陽進退
六、流刀
七、順刀
八、逆刀
九、勢中刀
十、虎乱刀
十一、抜打

中傳(英信流)

一、横雲
二、虎一足
三、稲妻
四、浮雲
五、山下風
六、岩浪
七、鱗返
八、浪返
九、瀧落
十、抜打

奥居合(抜刀心持之事)

一、向拂
二、柄留
三、向詰
四、両詰
五、三角
六、四角
七、棚下
八、虎走
九、人中
十、行連
十一、連達
十二、行違
十三、夜之太刀
十四、追掛切
十五、五方切
十六、放打
十七、虎走
十八、抜打
十九、弛抜

伝来

抜刀兵法傳來

開祖. 林崎甚助重信
二世. 田宮平兵衛業正
三世. 長野無樂入道槿露齋
四世. 百々軍兵衛光重
五世. 蟻川正左衛門宗續
六世. 萬野團右衛門信貞
七世. 長谷川主税之助英信
八世. 荒井兵作信定
九世. 林六太夫守政
十世. 林安太夫政續
十一世. 大黒元右衛門淸勝
十二世. 松吉八左衛門久盛
十三世. 山川久藏幸雅
十四世. 坪内淸助
十五世. 下村茂一定政
十六世. 島村義郷
十七世. 細川義昌義馬
十八世. 中山博道

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